招き猫(まねきねこ)--招财猫的由来
招き猫(まねきねこ)は、前足で人を招く形をした、猫の置物のこと。縁起物の一种であり、主に商人の家などで饰り商売繁盛を愿う。
概要
右手を挙げている猫は金运を招き、左手を挙げている猫は人(客)を招くとされる。両手を挙げたものもあるが欲张りすぎると「お手上げばんざい」になるのがオチ、と嫌う人が多い。一般には写真の様に三毛猫であるが、近年では、金色、黒色の物もある。自由が丘のえんぎ屋には両手を上げた招き猫を売っている。
招き猫のモデルは、猫の「毛づくろいの动作」ではないかという説もある。

由来
招き猫の由来にはいくつかの説がある。
·豪徳寺説
东京都世田谷区の豪徳寺が発祥の地とする説がある。
江戸时代に彦根藩第二代藩主・井伊直孝(1590年3月16日- 1659年8月16日)が鹰狩りの帰りに豪徳寺の前を通りかかった。そのときこの寺の和尚の饲い猫が门前で手招きするような仕草をしていたため寺にたちより休憩した。すると雷雨が降りはじめた。雨に降られずにすんだことを喜んだ直孝は、後日荒れていた豪徳寺を建て直すために多额の寄进をし、豪徳寺は盛り返したという。
和尚はこの猫が死ぬと墓を建てて吊った。後世に境内に招猫堂がたてられ、猫が片手をあげている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)がつくられるようになった。ちなみに、この縁で豪徳寺は井伊家の菩提寺となったといわれる。幕末に桜田门外の変で暗杀された井伊直弼の墓も豪徳寺にある。
なお、この猫をモデルとしたもうひとつのキャラクターがひこにゃんである。
·自性院説
东京都新宿区の自性院が発祥の地とする説がある。
ひとつは、江古田ケ原の戦い(1476年~1478年ごろ)で、劣势に立たされ道に迷った太田道灌の前に猫が现れて手招きをし、自性院に案内した。これをきっかけに盛り返すことに成功した太田道灌は、この猫の地蔵尊を奉纳したことから、猫地蔵を経由して招き猫が成立したというもの。
もうひとつは、江戸时代中期に、豪商が子供をなくし、その冥福を祈るために猫地蔵を自性院に奉纳したことが起源であるとするもの。
他にも、东京都豊岛区の西方寺起源説、民间信仰説などいくつもの説があり、いずれが正しいかは判然としない。
招き猫の现在
縁起物の一种である为、お正月に新调する家庭も多く、神社周辺では熊手同様、屋台贩売されることが多い。また商人文化の発达した地方の门前町では招き猫の専门店なども存在し、大小数多くの招き猫を取りそろえている店もある。
名産地は群马県の高崎市近郊などで、达磨とともに、同じ制法で生産されている(木型に和纸を张る「张り子」によるもの)。他に陶磁器制のものなどもあり、更に近年はプラスチック制品なども登场し、今でも毎年数多くの招き猫が流通している。
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